多納里の沿革紹介
多納里は日本語の「トナ」という発音に由来しかつては「屯子」と表記されていました。これはます。村にはある伝説が伝えられています。ある日、2人の狩人と1匹の犬が現在の多納村を通って狩猟に出かけました。かつて多納里には湿地があり、犬は湿地の岸辺を通るたびに、ここから離れようとしませんでした。その後、狩人が集落に戻り、頭目を湿地に連れて行くと、ここには十分な水源と障壁になる山があるので、暮らすのに最適な場所だということに気づき、部族の人々と話し合った結果、現在の多納村に移ました。この時、もう一つの集落もここに移住してしばらくして、三番目の集落も多納里に移転し、さらに大きな集落が形成されました。これが今日の多納村です。
スレート板家屋の紹介
多納集落の祖先たちは、かなり早い時期に温泉渓へ黒灰板岩を取りに行ったと伝えられます。「易経学」によると、黒灰板岩は陰と陽に分けられ、またオスとメスに分けられます。メスのスレート板は長い時間経つと風化しますが、オスのスレート板は色が黒く、しっかりと厚みがあり、重さもあるので、屋根や寝床を作るのに用いられました。多納里の村人たちは助け合い、スレート板を積み重ねて家屋を建てました。現在、三代目のスレート板家屋は建築技術も進歩し、建てる前にスレート板を機械で整形しています。また、家屋の梁も高くなり、現代的な建物となっています。スレート家屋の中には扉や門柱に百歩蛇が描かれている家もあり、これは頭目あるいは貴族の身分であることを示しています。
スレート板家屋の内部は、冬は暖かく、夏は涼しい造りとなっています。現在まで地震や台風でスレート板家屋が倒壊したという事例は聞いたことがありません。